第2話 言葉
"時と場合による"。
この言葉は、とても便利だ。
万能だ。
フリーダムだ。
エンタの神様でいうところの、この人だ。
究極の選択というものがある。
「一年中真夏、一年中真冬、どっちの世界で暮らしたい?」
それに対して、以下のように答えちゃう人、いる。
「時と場合によるかな…」
そりゃそうだ。誰だってそうだ。
そりゃあもう、ケースバイケースだ。
一年中真夏の世界に住むなんて、松崎しげるのようになれとでも言うのか。
一年中真冬の世界もどうかと思う。
一家に一台、霧ヶ峰が必要だ。
こんな質問もある。
「未来が読める能力と、人の心が読める能力、欲しいのはどっち?」
もう、私は言いたい、
「時と場合による」と。
この言葉にイチャモンをつけるより、もういっそ積極的に使ってみようと思った。
と言うのも、未来が読める能力を持ったとして、5年後自分の全歯(オール歯)が折れている未来が見えたらもちろん嫌だし、
3分後何を間違えたのか白の軽トラックを横転させている自分が見えてしまったら本当に困る。3分間のあいだに何が起こったのかを考えると恐怖でしかない。
一方、人の心が読める能力が備わってしまったとしたらどうだろう。
ツタヤでDVDを借りたとする。
お会計時に店員が心の中で
(この映画のラストは、2人とも死ぬんだけどなぁ)
と思っていたら。
とても最悪だ。
想定外のネタバレの仕方であるし、もはやTポイントカードどころではない。
ポイントなんて貯めなくていいから今すぐにでも店から出たいと思ってしまう。
地味な嫌がらせを受けている気分になってしまい、誰も幸せにならない。
だから私は言う、
「時と場合による」と。
これはきっと、魔法の言葉なのだ。
大阪を代表する女性漫才コンビ・海原やすよともこが言っていた事なのだが、
関西人の方々は話の最後に「…知らんけど!」を付け加え、その話自体に責任を持とうとしない傾向があるらしい。
一概にそうとは言えないが、海原やすよともこが言うことなら信ぴょう性が高い。
何が言いたいかと言うと、"時と場合による" という言葉は
"知らんけど!" に近いものがあると私は感じる。
多分近い。
もう、そういうことにしておく。
近いものは近い。
今回のブログに、オチなどは特にない。
こんなにも真面目なブログにオチなど必要ない。
人生で体験したエピソード全てにオチを付けることを常日頃から意識していてはダメだと、偉い芸能人がワイドショーで言っていた。
確かにそう思う。
自分自身が日常を面白おかしく感じることが出来れば、それでオッケーなのだ。
楽観的に生きるのがベストなのである。
…知らんけど。
第1話 序論
ブログを書こうと思い立った。
こんな季節に、だ。
寒暖差が激しい、ましてやこれから益々寒くなろうとしているこんな季節に、だ。
秋口は何をしても許される季節ではない事くらい承知の上で、だ。
いや、もはや秋口でも何でもないのだ。
冬が始まろうとしているのだ。
冬はもう、すぐそこまで来ているのだ。
槇原敬之が似合う季節に変わろうとしているのだ。
のだ、の使用過多のせいで、なんだかハム太郎さんみたいになってしまった。
恥ずかしい。お見苦しい。
また、見てわかるようにブログの冒頭部分に力を入れ過ぎてしまった。
長い。序論が長すぎる。
小論文の入試なら、完全に不合格だ。
400字の原稿用紙に375字分序論を書いてしまう人は、とても嫌いだ。
本論・結論の居場所はどこにあるというのだ。かわいそうに。
そんなこんなで、これから好きな時に好きなことをブログに綴っていこうと思います。
p.s. "そんなこんな" で序論のくだりをなかった事にする人も、嫌いです